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2006/10/16

消された一家

『消された一家-北九州・連続監禁殺人事件-』(豊田正義:著 新潮社:刊)
読了。
2002年、北九州で起きた事件。故郷の方なので、ちらちらと新聞やネットなど見ていましたが、ちょっとカルト犯罪っぽい印象も受けましたが、「なんががなんだかわからん。」という印象でした。
本書はその事件に関するルポルタージュです。

本書を読んで初めて少しだけ解った事件の概要は。
今、裁判を受けているのは松永太と緒方純子の2人。

そして殺されたのは松永が金づるとして巻き込んだ不動産会社の社員と緒方純子の実父と実母、純子の妹夫婦とその子供2人。全部で7人。
それから松永にそそのかされて借金までして金を搾り取られた女性がひとり自殺しています。

生き残ったのは松永と緒方純子の間の子供たち、そして、その不動産会社の社員の娘。その娘が松永が彼女を監禁していたマンションを逃げ出し、祖父母の元に逃げ込んだのが事件発覚のきっかけとか。

で、どうも、松永が純子とその不動産会社の社員父子、純子の両親、妹夫婦と子供2人を最初は金づるとして巻き込み、手元に置いて日常的に虐待を加えて、挙句の果ては殺したようです。ただ、自分はほとんど手を下さず、殺さざるをえない状況に追い込んで殺し合いをさせたと、肉親を殺させたりしたと、そういう事件だったようです。

監禁虐待をして、洗脳状態に追い込んで、殺し合いを、しかも肉親同士の殺し合いをさせるところまで持っていく、しかも、その死体の解体処理までして。ほんとうにそういう事ができるのか?いや、できるのでしょう。

本書はこの事件を主に緒方純子からの証言で描いています。
「まえがき」によると、

 夫や恋人から壮絶な暴力を受けた被害者であるはずの女性が、最終的に加害者(共犯者)となって殺人などの凶悪犯罪を犯す。こうした事件の構図を、私は以前から調べていた。
~中略~
「なぜ彼女は逃げなかったのか?」
 この種の事件を調べる過程で、必ず湧き上がってくる素朴な疑問である。
~中略~
私が知るかぎり、「逃げられない心理状態」が、裁判できちんと解明されたことはほとんどない。
~中略~
そして判決では、「逃げようと思えばいくらでも逃げられた」とされ、暴力を振るっていた首謀者と同等の量刑が下されてしまうのだ。
 私はこうした裁判のあり方に、違和感を覚えていた。「逃げられない心理状態」のなか、徹底的に追い詰められた末に犯行に及んだのだとしたら、法廷でも当然それは解明されるべきであり、場合によっては、情状酌量が認められるべきではないだろうか。

と、書かれています。

私はこの事件のいきさつには、失礼ですが、あまり関心はありません。ただ、「どうしてこうなってしまったのか」に興味があります。最近死刑が決まった某カルトの事件も、「その教祖が一日何個メロンを食ったのか」とか、「何人の女性信者に手を付けたのか」についてはあまり興味がありません。あの、朝のワイドショーがそのカルト教団のニュースで埋め尽くされていた時、私はそういうのを流さない、アニメとか普通に流しているテレビ東京ばっかり見ていたし。

ただ、そういう世界に取り込まれる、人の心の闇には興味があります。
それはたぶん決して他人事ではない、自分だって取り込まれる可能性があると思っています。だから、なぜそうなってしまうのか、興味があります。

主犯の松永という男。いっけん人当たりはいい、とても魅力的な人物のようです。本書にもにこやかな好人物に見える公判中の松永の写真が載っています。
その魅力で周囲の人物を惹きつけ、そして身内に取り込んだとたん豹変し、暴力ほかあらゆる手段をもって相手を支配しようとする人物。そうして相手を虐待して喜ぶ人物。そして、人当たりのよさで相手から引き出した話を虐待の時は支配の手段に使うような人物。

彼は自分が創った会社に“ワールド”、つまり“世界”と付けるセンス、その会社はタダの布団の押し売り屋、しかし、その登記簿に巨大商社と同じ事業内容を載せるセンス。たぶん、ブクブクのブクブクに膨れ上がったエゴの持ち主と思います。
たぶん、松永にとって他人とは、自分のエゴを実現する道具に過ぎないのだろうと思います。

ただ、松永ほどのレベルに達している人物はほんとうにまれだろうけど、そういうタイプの人間は普通にいて、そういう人たちと松永のレベルは断絶はせず、地続きの世界であろうと思います。

松永と行動をともにした緒方純子。厳格な、厳しい親に育てられた、それを受け入れた彼女は、たぶん、支配を受け入れやすい性格になってしまったのだろうと思います。最高の支配能力を持つ松永と、支配を受け入れやすい性格を持ってしまった持った緒方純子が出会ってしまい、そして悲惨な事件が起きたのかと思います。

そして、そういう育て方をする親もまた、押し付けられて育ち、同じようなコントロールに弱い性格を持ってしまったのでしょうか。やすやすと松永に取り込まれて。

彼らもまた特別な人間ではなく、ごくありふれた、どこにでもいる、ごく普通の人間だと思います。

人は社会性の動物であります。そうなれば、本能レベルで“支配-被支配”システムが組み込まれていると思います。それがないと人は“群れ”として、生きていけないでしょうから。
そして、本件はその本能の暴走した事例かと思ったりします。そうして、この、松永の事件まで行かずとも、そういう、“支配-被支配”システムの行き過ぎた事例はいくらでもあると思います。某カルトの事件、企業ぐるみの不正行為、家庭内暴力。いや、国家レベルで暴走している国だってあります。

結局はあらゆる人間関係には、大なり小なり“支配-被支配”のシステムが存在していると思います。最後それの善悪を分かつのは、支配されている当人が“幸せ”であるかないかかなぁとか思ったりします。
あと、対外的に犯罪行為を犯しているかどうかか。

私だって。人を支配したいと思う事はあります。美女にかしずかれたハーレムの主とか想像するとグッときます。人をいちびって喜ぶ部分もあります。
また一方、被支配願望もあります。自分の頭で考えて動くのがめんどくさくて、自我を捨てて誰かにかしずきたいと思う部分もあります。
そして、そのバランスが大事、そこに“自己”があるのではないかと思ったりします。

しかし、松永の“帝国”のほんと小さくてみみっちいこと。醜いです。

本書では「松永に真実を語ってほしい」などと書かれていますが。それは絶対無理かと。彼のような人物にとっては自分有利に作話した事を自分自身で信じきっていると思います。
彼にとっては何より、肥大しきった自我を守ることが第一義ですから。
そして、記憶の意識&無意識レベルの改変ってのは普通の人にもある事。松永が特別って訳じゃなくて、ただ、それが常人をはるかに超えてあるっていう事でしょう。

本書は…。そうですね、暴力による支配-被支配の世界を自分と別世界の事と思ってる人にはおススメしません。そういう人たちは幸いです。しかし、その世界を一瞬でも垣間見た人、なぜだかそういう世界に惹かれる、興味を持ってしまう、あるいはそういう世界の住人になってしまった人には読んで欲しいと思っています。

どうか、最後に理性のひとかけらは残っていますよう。それが暴力と偽善に満ち溢れているなら、それを捨てる勇気、孤独と分離の苦痛に耐える勇気が残っていますよう。
そして何よりもこういう“場”に巻き込まれませんよう。
しかし、私がそういう場にいたら、やっぱりやってしまうのかなぁ。

…しかし、本書中の台詞、故郷の方言で書かれています。故郷の人じゃなきゃ、違う世界のお話と距離を置けるでしょうが、こちらはそのイントネーションまで頭の中で再生できます。きつかったです。

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