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2006/09/20

死に場所

昨日の記事、mixiの方である方のレスがついてふと思ったのだけど。
じゃあ、あたしはどういう死に場所を望んでいるのだろうって。
人が望む死に場所ってのは、当人にとって還るべき場所、還りたい場所じゃないかなと思いますが。あたしにとってそれはどこなんだろうかって。

恋人、愛妻、あるいは無二の親友、家族とか。そういう人のいる場所。そういうのが還る場所だと。あたしは残念ながらそういう人はいません。両親はいるけど、両親より先に死なないのは最低限の親孝行と思ってますし。

あるいは自分の場所と言える所。それは東京にはないです。残念ながら。
東京で私はデラシネ(根無し草)だと思ってます。
今回の立ち退き騒動は自分が根無し草だと痛感される出来事でした。もちろん退去にあたっては前の大家さんによくしてもらったと思っています。いい思いも不愉快な思いもしましたが、多少の不愉快はしかたがない、自分の思ってる通りにすべて行く訳が無いと理解してます。だから、別に恨みなどありません。

じゃあ故郷はと言うと。故郷にはアンビバレントな感情を抱いています。愛憎ともに深く。その感情に振り回されて。帰省してもだいたい引きこもってい て、外出するのも本屋に行くとか映画に行くとかくらい。あと両親に連れられてお墓参りか。故郷には近所とか同級生がらみの友達もいませんしね。で、帰省す るとぐったりと疲れます。

やっと去年あたりから帰省しても何とか落ち着いていられそうな端緒も感じはじめましたが。

ただやっぱり、死を目前にするとたぶん故郷に帰りたくなるんじゃないかと思います。
アルチュール・ランボーの伝記映画で、詩を捨ててアフリカで商人をやっていたランボーが死病を得て、必死になって故郷に帰ろうとする姿、なんか胸に突き刺さりました。

あと、思いつくのは、あるシチュエーションに死に場所を求めるという態度か。
『ライ麦畑で捕まえて』の主人公は、自分の死に様を時々思い描きます。もう記憶も定かではないのですが。なんか、恋人か誰かを守って敵と戦ってやっつけるんだけど、じぶんも撃たれて死にそうで、でも、それを悟らせず、その場を去るって感じのシチュエーションでした。

まぁ、冒険小説好きとしてはそういうシチュエーションを夢見る事、わかります。
“ハードボイルド”小説や冒険小説のそういうシチュエーション、心に残ってるのがいくつかあります。
ただ、自分はそういう事はできない、そういう場に遭遇することもまずないでしょうし、そうする勇気もないのは解ってます。

ま、だから、ここで死にたいとか、こう死にたいってのは特に今のところ希望はありません。
私は早死にするでしょうが、それでも残されている時間はそこそこあると思います。その時間の中を生き、その中でそういう自分の“場”を作っていくべきだという事は理解しています。

まぁそれに昔から自分は好むと好まざるとに関わらず独行者になってしまったという認識を持ってるみたい。だからこそ、独行者の物語であった“ハードボイルド”小説の世界に惹かれ、日本冒険小説協会に入ったのではないかと思ってます。

もちろん良くして頂いている方々はいらっしゃいます。その事はとても嬉しく、ありがたく思っています。しかし…。
いろいろややこしいけどね。

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