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2006/05/09

若者殺しの時代

若者殺しの時代(堀井憲一郎:著 講談社現代新書)
読了。

イメージフォーラムフェスティバルの会場、パークタワーホールの地下にはお店屋さんがあります。コンビニから本屋さんからコーヒースタンド、レストランまで。プログラムの合間によく行きます。ほんと一年でこの時期だけ行くお店やさん街なのですが。しかし、ちっと入り組んだ構造をしていて、ややこしいなぁと思う部分もあるんですが。

フェスティバルに読むものを持たずに出てきてしまって、何か読むもの…と本屋さんを覗いてみたら、本書がありました。ちょうどプログラムの合間合間に読むのにいい感じのボリューム、お値段もそう高くないし、買ってみました。

本書は80年代初頭、
「若者」という世代がきちんと限定され、みんなが明確に意識し、そこをターゲットにいろんなものが動き出してから」(本書「まえがき」より)
の時代の流れ、それが結果として”若者殺し”になった時代の流れを概観した本です。

何度か書いていますが、「恋愛教」と「恋愛資本主義」についてよく考えます。

「恋愛教」。かつて自我の支えとして機能してきた宗教、理念、地域社会といったものが崩壊し、人は自我の支えとして恋愛を求めるようになった。かつて「恋愛」はできる奴だけやればいい程度のものであったが、そのため「恋愛」は生きていくうえの必須物となった。
「恋愛資本主義」。「恋愛教」は消費社会と結びつき、メディアのプロパガンダのもと、「恋愛教」は喧伝され。「誰でも恋愛できる。お前も恋愛しろ。それにはこれを買え。」と、「恋愛」をめぐるさまざまな商品が生み出され、消費されるものとなった。
しかし、残念ながら、「恋愛教」と「恋愛資本主義」の世の中は、恋愛できない疎外者を生み出していて。

じゃあ、こういう今の時代への流れはどこでどう生まれたのだろう、というのが本書を手に取った動機でした。

本書を読むと、「恋愛教」と「恋愛資本主義」への時代の流れは、1983年から始まったようです。奇しくも寺山修司の亡くなった年であります。東京ディズニーランドが開園した年でもあります。

その年、「an an」で「クリスマスの朝はルームサービスで」という特集が組まれ。つまり、シティホテルで彼とお泊りして、翌朝はルームサービスでふたりで朝食としけこもうという訳ですな。まぁつまり、ヤルって事ですな。

あのころの未婚男女の性交渉率がどのくらいだったかは解りませんが。芸能ゴシップとか載せている女性週刊誌なんかではもうセックスの記事があったと記憶していますが。「an an」みたいなファッション誌が、暗にしろ未婚女性にセックスを勧めるという記事を載せだしたという事ですな。

ちょうどこのころ、これも何度か書いていますが、大学の社会学の教授から、「君たちもいつか結婚するだろうけど。奥さんのヴァージニティーにこだわっては いけないよ。」と言われた時期とほぼ一致します。社会学の教授ですから、そういう世の中の動きには敏感だったのでしょうか。

それからバブルのピークを迎えて、クリスマスイブの高級ホテルはどこもカップルの予約でいっぱいということになったのだけど。

まぁつまり女性は最終兵器を持ち出してきたというわけでしょうか。80年代は冷戦の最後の時代でありますが、けっきょく最終兵器は用いられなかったけど、女性は最終兵器を持ち出してきた、と。いや、それは彼女たちが望んでか望まずかは解りません。メディアに踊らされた部分もあるでしょうし。でも、最終兵器が出てきたのは事実な訳で。

最初はロマンだった。女性にとってのロマンが少なかった時代にクリスマスをロマンチックな日にしたいと希求した。願いはかなえられたが、スーツを着たおとなたちがやってきて若者向けのイベントとしてシステム化し、収奪機構として整備し、強迫観念として情報を流し続けた。(本書57ページ「1983年のクリスマス」より)

そして時代は進み。

世界は自分が望んだように動いてくれるように見えた。若者の世界がどんどん広がり、若者の居場所が広がったように錯覚した。でも、本当は若者という分野が作り出され、欲望を刺激し、商品を並べ、金を巻き上げるシステム動き出しただけだったのだ。
(中略)
女の子の機嫌をうまくとらないと、相手にしてもらえなくなった。女の子は勝手にお姫さまに収まってしまった。遊びの場の賭け金を、女の子が上げたのだ。場が高くなると、けっきょく、ギャンブラー本人の首を絞めるのだが、女の子はそんなことは気にしなかった。
(本書83ページ「1997年のディズニーランド」より)

そういう時代になってしまった、と。

本書は私が読みたかった読み方以上のことを教えてくれました。

私が今の世の中に思うことのもうひとつは、この社会の変質であります。
前にも書きましたが、唐沢俊一さんが時々「劣化」とお書きになっている今の世のありようです。
た ぶん、ニート、少子化、企業の不祥事、航空機の整備不良とかに代表される日本製品の質の低下、それはすべて同根で、日本人のある種の「変質」がその原因で はないかと思うのです。だから、ニート対策、少子化対策、なんて個別対応しても、その根底の「劣化」を何とかしない限り、たいした効果は上げられないので はと思うのです。

その疑問に対しても本書は答の手がかりを与えてくれます。

坂の上の雲は、(中略)1950年から1980年の昭和の人々も見ていた。前年より今年、今年より来年が豊かになっている時代だ。(中略)坂を歩くのはつらいが、高みに登っていくくことが実感できる限り、気持ちがよかった。がんばれば上へ行けた。弱音を吐かなければ、いい生活ができるようになった。
それが僕たちの国だという信念があった。
たどりついた坂の上は、つるっつるに滑る不気味な灰色の平原だった。(本書155~156ページ「1991年のラブストーリー」より)


堀井さんは、こういう時代にたどり着いたことを嘆いていますが、しかし、自分も含めた現代の人々が、こういう世界でしか生きられないことをもまた認識していらっしゃいます。私の認識もそうであります。こういう時代の枠組みに気がついていて、踊らされていると自覚していて、でも、時には踊らないと息が詰まります。

どこかでブレイクスルーができないのでしょうか。

第一陣の逃亡者たちは、ほとんど捕まってしまい、「ニート」という立派な名前が与えられてしまった。今は更正しろと監視されている。明らかに逃亡する前より扱いが悪くなっている。次の逃亡は慎重にやったほうがいい。(本書197ページ「あとがき」より)

堀井さんは2015年あたりに本格的に今の社会が崩壊すると予言されています。生き残りたいけど、2015年というと私も50台か。心も体もしなやかさをだいぶ失っていると思いますが…。
もちろん、ガラガラと阿鼻叫喚の中でひとつの社会が終わりを告げるなんて事はなくて、血しぶきの祭りの中、この世が終わるんじゃなくて。たぶん、腐れ落ちるように静かにこの社会は終わりを告げるのでしょうね。「地獄の黙示録」でカーツがつぶやいたウィリアム・ブレイクの詩の一節のように。

本書は本当にお勧め本であります。ここでさらっと紹介した以上に内容は濃くてよいです。しかも読みやすいです。ゼヒご一読を。

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