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2006/02/16

幻想に生きる親子たち

幻想に生きる親子たち(岸田 秀:著 文春文庫)
読了。

岸田秀を読み始めたのはしろはたで紹介されていたからです。岸田秀の『唯幻論』は私にとって、人の心を理解するのに一番しっくりする理論です。
岸田理論の根底にあるのは「人間は本能の壊れた動物である」という考えです。“本能”というと、「あいつは本能のおもむくままに欲深く生きている。」とか、悪いイメージがありますが。しかし、“本能”というのはその動物にとって、それに従って生きていけば、特に大過なく生きていけるシステムであります。それが人間では壊れていると。

そして、人はおのおのてんでバラバラな“私的幻想”を抱え込むようになってしまったと。しかし、人は何らかの方法でおのおのを束ねて、共同体を構成しなければ生きていけないと。それで、その“私的幻想”から共有化できるものを抽出して“共同幻想”を構築し、社会を構成し生きていってると。しかし、それは所詮“共同幻想”であり、“共同幻想”からはじき出された“私的幻想”は個々人の中でくすぶっており、社会の不安定要因になっていると。

この程度でどのくらい岸田理論を理解した事になるのか判らないのですが。

本書は題名からして親子論とか教育論の本に思われますが、それは基本的には第1章だけ。あとがきで岸田秀は雑文集と称していますし、岸田理論に基づき諸事を語るエッセイ集みたいです。

“母性愛”。岸田秀は母性愛さえも幻想としています。人は未熟状態で生まれ、育てるのに親は多大な犠牲を払わなくてはいけなくて。そのために母性愛は発明されたと。そして、親子関係を存続させるための“幻想”は崩壊しつつあると。そして、児童虐待、学級崩壊、援助交際もその根っこにはその“共同幻想”の崩壊があると。

“岸田史観”に基づくエッセイも収録されています。幕末、鎖国していた日本。その日本をアメリカ合衆国は“強姦”するように開国させた、と。その“強姦”による屈辱から逃れたいがために日本は、それは愛をもって抱かれたのだと思い込みたく、だから欧米に無条件に追従する“外的自我”と、しかしその“強姦”の憎しみによる“内的自我”の2つに分裂したと。そして、その2つは統合されず、つまり統合失調症として今の日本はあると。
たとえば、「鬼畜米英」が敗戦したとたんころりと「アメリカ万歳」に転向したのは、その統合されてない2つの自我が交互に現れているせいだそうです。
この説明はほんとにするりと腑に落ちます。今のネットウヨクの跳梁もそれで理解できます。

岸田秀の思想は、ある意味危険思想だと思います。すべては幻想に過ぎないとする考え、耐えきれない人もいるのではないかと。岸田秀自身はどういう風に処していらっしゃるのでしょうか。

私は寺山修司の、たとえば、「作りかえられない過去なんてない」なんて考えは素敵だと思いますし、「すべては虚構。虚構バンザイ。」という考えも寺山修司などから得て、持っていたようです。だから、岸田秀のある程度すんなりと思想も受け入れられました。もちろん、それ一色に私の考えは染まっているのではなく、「すべては虚構」という考えにひどく空しさを覚える部分もあります。何か確実な、しっかりしたものを持ちたいとも思っていますが。

「作り変えられない過去なんてない」とうそぶき、「母殺し」「家出のすすめ」を唱えながらも、結局母親を捨てられなかった、「家出のすすめ」をあらわした寺山修司。
「すべては幻想」とうそぶき、母親を徹底的に憎むことによって自らの神経症を克服した岸田秀。
ふたりの対談を読みたかったです。寺山修司の「青女論」(だったかな?)の巻末に寺山修司と岸田秀の対談は収められていますが。なんか通りいっぺんで終わってしまったような感じがして。もっと熱く語りあった物を読みたかったです。

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