そうなっていく
所謂“ヴァレンタインデー”は私にとっては母方の祖母の命日であります。
私は「三文安い」おばあちゃんっ子で、ずいぶん可愛がられ、また、甘やかされたと思います。
おととしは七回忌で帰省しました。去年も年末年始の帰省はせずに、命日にあわせて帰省したのですが。
今年は祖母の命日だったと思い出したのは、ヴァレンタインデーを過ぎてからでした。
たぶん、そうなっていくのでしょう。亡き人に対しては、それが当たり前のことで、悪いことではないのでしょう。
たぶん。
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所謂“ヴァレンタインデー”は私にとっては母方の祖母の命日であります。
私は「三文安い」おばあちゃんっ子で、ずいぶん可愛がられ、また、甘やかされたと思います。
おととしは七回忌で帰省しました。去年も年末年始の帰省はせずに、命日にあわせて帰省したのですが。
今年は祖母の命日だったと思い出したのは、ヴァレンタインデーを過ぎてからでした。
たぶん、そうなっていくのでしょう。亡き人に対しては、それが当たり前のことで、悪いことではないのでしょう。
たぶん。
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コメント
私は霊魂がずっとあって現世の人々とかかわりを持ち続けるという考えより、もはや愛にすら苦しめられない無へ収束してゆくという考えのほうが好きですよん。父が死んだときに作った歌。
白き道我をわすれて駆け抜けよわれの知らない童子となって
投稿: こばゆ | 2006/02/18 23:01
>こばゆ様
うぅむ…。私も「死は無である」という死生観を受け入れて、それをベースに人生観を構築したいですが。やはり何らかの死後幻想なくしては死を受け入れにくいものです。
短歌、素敵です。確かに愛は苦しみであるものかもしれない。
投稿: BUFF | 2006/02/19 18:28