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2005/05/26

現実なんてものは…

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050525-00000745-jij-soci
「事実確認が不十分」と高校に謝罪=「プロジェクトX」でNHK
だそうですが。

結局、「プロジェクトX」という番組そのものが現実をドラマチックに見せるというスタイルの番組なのだから。現実を多少歪曲して見せる、ドラマチックに見えるように歪曲して見せる番組なのだから、いつかやりすぎで批判が出るのも当り前のような気がします。
“歪曲”の事を普通“演出”と呼ぶのだけれど。

まぁ、実際に起こった事件を元に映画とかドラマにするにはそうしなきゃいけないものだろうけど。単純に誰かをヒーローに仕立て上げたり悪役に仕立て上げたり、“解りやすい”“感動的”な話にもっていって。
あとはドキュメンタリー風を装う場合、どこまで脚色が許されるか?なんだろうけど。

けっきょく現実って退屈でダサくてしんどくてかったるいのだし。それをやり過ごす術を身に付けないといけないと思います。「面白き事も無き世を面白くだと。
だから、現実をドラマチックに見る事もいいのかもしれません。ただ、それを以って全てを決め付けるのも困りもので。

寺山修司の孫引きだけど。「英雄は2度現れる。1回目は悲劇として、2度目は笑劇として。」だと思います。持ち上げて、持ち上げるのに飽きたら、落とす。

しかし最近のマスコミの毀誉褒貶の無節操な寝返りっぷりは見ていて呆れますがね。例えばちょっと前のサッチー騒動。あれだけ提灯記事を書いていたマスコミが、その提灯ぶりに関する反省はまったくなく、一転してサッチーを蹴落とす記事を出しまくる。あれだけサッチーが傲慢な人間なら、提灯記事を書いていた最中もマスコミ連中の耳目にはその傲慢ぶりが入っていたでしょうに。
ま、提灯記事でネタにして、蹴落とし記事でネタにして、2度おいしいですからね。資源の有効活用、エコ社会バンザイ!かもしれません。

そして、その結果、行き着くところまで行き着いたのが、今回の騒動の根っこなのだろうと思います。

いや、寺山修司は「過ぎ去る一切は物語に過ぎない。」と言った訳で。それまで踏まえてかどうかは判らないけど。その心構えがいるのかな?

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