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2005/05/04

イメージフォーラムフェスティバル Dプログラム

昨日はイメージフォーラムフェスティバル、Dプログラムを観てきました。
Dプログラム、日本作品のプログラムです。
かわなかのぶひろ先生の新作もある回です。

う~ん、はっきり申し上げて実験映画について何かを書くのは難しいです。劇映画なら、「主人公がかっこよかった」とか、「ヒロインがきれいだった」とか、「特撮がリアルで」とか、「ストーリーがハラハラドキドキで」とか、切り口を見つけやすいのですが。実験映画はどう語っていいのか良くわからないです。前に書いた文章も、必ずしもその作品の魅力を伝えている文章にはならなかったし。

曖昧な葬儀 An Ambiguous Funeral(末岡一郎/16ミリ/12分/2004)
映像作品の手法にフッテージというのがあるそうです。フッテージというのは映像のコラージュと言えばいいのかな。既存の動画を切り貼り・加工して作る作品です。あまり詳しくないのですが。
本作もフッテージ作品。末岡さんは近年、日本の、昔の埋もれた映像作品を素材にしていらっしゃるようです。去年は確か昭和初期くらいのドイツ旅行の映像を素材にお使いだったと記憶しています。今回の『曖昧な葬儀』は、こちらも昭和初期、戦前くらいの葬儀風景を撮ったフィルムを素材にしています。

種(中西義久/ビデオ/6分/2005)
イラストアニメです。途中CGっぽく見える部分もありましたが、手書きのイラストだったそうです。
地べたに落ちる柿の実、やがて芽を出し…。“命”にまつわる抽象的・具象的なイメージが
メタモルフォーゼして展開していきます。

みんなのうた(壱岐紀仁/ビデオ/6分/2004) ※一般公募部門奨励賞
実写+イラストのアニメーション。幼稚園の園児たちが素材。小さい子供の連れている犬が園児たちの「○×が好き」という言葉にあわせてメタモルフォーゼしていく姿が面白かったです。

つぶつぶのひび(大木千恵子/ビデオ/19分/2004) ※一般公募部門入選
セルフドキュメンタリーというか、ムービーエッセイというか、そういう作品です。
いわゆる「自分探し」系でしょうか。

私、「自分探し」系の作品って苦手です。そういう作品って往々にして「自分はもっと立派な人間なんだ」なんてのが見え透いていて。そういう作品にありがちな「今の自分はほんとの自分じゃない」なんて物言いも嫌いです。「あなたが言う『ほんとの自分』なんて無いよ。今、そこで、そうしているあなたがあなたなの。それが自分にとって不本意で、惨めでもみっともなくてもあなたなの。そこから出発するしかないじゃない。」と言いたくなります。

本作はそういう部分がないです。今の自分、そして自分を取り巻く周囲を素直に見つめるまなざしがいい感じです。ほんとにいとおしい、納豆と飛行機の映画であります。

鏡水晶体(黒川芳朱/16ミリ/2分/2005)
細かいイメージの断片の積み重ね。何が写っているのか判る映像もあれば、何が写っているか判らない映像もあります。この判る映像と判らない映像。「あ、これは何々の映像」と判ると脳みそは落ち着くのですが、逆に思考停止するとも言えますが。そこら辺の事を考えさせてくれる作品でした。

Household Movie(伊藤隆介/16ミリ/4分/2005)
映画とは、プラスチックの細長い切れ端に焼き付けられた映像をスクリーンに投影するもの、でありますが。人は映画を見る時に、フィルムを気にしたりはしないものです。フィルムに焼き付けられた映像に興味があるのであって。つまり、フィルムはメディア、媒介者でありますな。媒介者は媒介役、つまり、AとBを結び付けてしまえば、その存在はもうAやBにはシカトされてしまうもの。
昔、好きだった女の子をその子が興味を持っている世界の人に、私は伝手を持っていたので紹介したら、ふたりでデキちまって、私の存在が無視されて悲しい思いをした事があります。フィルムってそんな役回りですよね。
本作はそういう悲しい役回りのフィルムを素材にして映画にした作品、「映画はフィルムに写しこまれた影なのだよ」と語っているのでしょうか。

映像書簡10(かわなかのぶひろ+萩原朔美/ビデオ/36分/2005)
かわなかのぶひろ先生と萩原朔美さんの映像による交換書簡、コラボレーション作品であります。

いや、実は、今回のかわなかのぶひろ先生の新作はあまり期待していなかったです。ごめんなさい。だってかわなか先生は2月一杯入院されていて、大きい手術をして、病み上がりでコンディションも悪いでしょうし、それで3月4月の2ヶ月間で作品を拵えるなんて、難しいと思っていました。だから今回はかわなか先生の新作が見られたら十分、本調子の作品じゃなくても仕方がないと思っていました。

申し訳ありません。私、見くびっておりました。
すばらしい作品でありました。

かわなか先生はその入院を、萩原さんは萩原さんと同居する事になった老母をのモチーフにしています。
上映終了後のトークにもありましたが。かわなか先生なら、例えば手術の傷跡をゆっくりと舐めていくようなショット、萩原さんなら老母の姿のショット、そういうのを入れるかと思うのですが。それをあえて入れないことによって、作品のテンション(この言葉はちょっとあってないと思いますが)を上げています。

う~ん、私の解ってないコメントはもう入れたくありません。ぜひ御一見をとBUFFメ平伏であります。

上映後、かわなか先生の飲み会があったのですが…。翌日の事がちょっと気になったので参加せずに帰宅しました。

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